三日月のうた

三十一文字とそれにおさまりきらないこと。「ことば」について考える日々。記事のタイトル≒短歌のお題 です。

百人一首って。

 歌うたう歌姫のこと宇多田ヒカル
 1000年後にも歌い継がれて

 

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いよいよ今年もあと残すことろわずかとなりました。

 

寒暖の差が激しくて

体調など崩されてはいないですか?

 

 

今回は

 

私が短歌を詠むきっかけともなった

小倉百人一首について

 

私自身の確認の意味も込めて 

まとめておきたいと思います。

 

 

小倉百人一首(以下、百人一首)は

 

鎌倉時代歌人藤原定家

息子の妻の父である宇都宮頼綱に頼まれて

 

京都の小倉山にある別荘、小倉山荘

襖を飾る色紙を描くために作られました。

 

今から約800年ほど前のことです。

 

平安時代を中心に

奈良時代以前から鎌倉時代初期に作られた和歌が

100首 選ばれています。

 

とまぁこんな感じ。

 

ずっと歴史が苦手だったのですが

このブログを通して折に触れて

 

時代についてや

その時代に生きていた人たちのことを調べるようになって

 

少しずつ、ほんとに少しずつですが

歴史の流れというものが見えてきたような気がする

 

そんな今日この頃。

 

今までの記事でもいくつか百人一首の歌を取り上げて

 

「月」という言葉が使われている歌

とか

「風」という言葉が使われている歌

とか

「恋」に関係する歌

とか

「川」に関係する歌

とか

 

ことばの面からも百人一首を見てきたりしました。

 

そんな百人一首

わずかながらも触れて思った私の考えを少し。 

 

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百人一首って

 

和歌がその名の通り「歌」ならば

音楽でいうところの

コンピレーションアルバムなんだな

ということ。

 

コンピレーションアルバムというのは

ある一定のテーマにそって

いろいろなアーティストの曲をまとめて

編集された音楽アルバムのことで

 

たとえば「カフェで聴きたいジャズ・シリーズ」とか

ダンスミュージックを集めた「グレイテスト・ヒッツ」とか

 

複数のアーティストが混ざるのが当たり前だし

有名な曲のカバー曲があったり

場合によってはレコード会社をまたいで

一つのアルバムを形作っているものもあります。

 

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百人一首って

 

万葉集のほか

古今和歌集

新古今和歌集

などなど10の勅撰和歌集の中から選ばれた歌です。

 

もともとは違う歌集などに収められていた和歌を

定家が改めて選んで編成しなおしたもの。

 

ほぼ年代順

天皇や公家、貴族や僧侶などの

いろんなタイプの歌人の歌が収められているんですよね。

 

そしてその内容は

恋の歌43首、春の歌6首、夏の歌4首、秋の歌16首、冬の歌6首

などなど多岐にわたっている。

 

よく聞かれるのは

なぜこの歌が?

なぜこの歌人は選ばれてこの歌人は選ばれなかった?

的な百人一首に対する批評。

 

その歌人の代表作ではなく違うもの

作者が疑わしいもの

元の歌と表現が変えられたもの

などなど…。

 

でもアルバム全体として捉えると

一つ一つの歌そのものよりも

前後の構成

その全体のバランス

 

そういうことに重きを置いて

定家によって選ばれたもしくはアレンジされた歌の集まり

なのではと。 

 

その歴史の中で

この百人一首の選者である定家に大きく影響を与えた

後鳥羽上皇の存在も踏まえて作られた

 

百人一首』という

一つの大きな作品なのだと。

 

そう考えるとスムーズに受け入れられるような気がします。

 

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コンピレーションアルバムに限らず

優れた音楽アルバムには

その全体のバランスを整えるための楽曲が

要所要所に収められています。

 

一人のあるいは1組のアーティストの

大きく打ち出したい曲とは別に

 

全体のまとまり、そしてそれを損なうことのない

むしろそれぞれの曲を引き立たせる曲がまとめられているんです。

 

その曲だけ聴くと

ん?

と思うようなパッとしない印象の曲であったとしても

 

アルバムの中の、ある曲とある曲の間にあることで

うまくバランスを取っている

そんな曲があったりします。

 

百人一首

 

なぜこの歌が?

なぜ違う表現?

なぜこの歌人

的なものは

 

そういった効果も踏まえてのこと

なのではないかと。

  

テーマにそぐわない歌や歌人を敢えて選ばず

全体としての構成を重視した。

 

それならば

あの歌が選ばれて

あの歌は選ばれなかった

それも納得できるのでは。

 

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ちょっとここで宇多田ヒカルさんのことを。

 

今年また音楽活動を再開されて

これからが楽しみな方の一人なんですが

 

たとえば

2014年に出された

宇多田ヒカルのためのトリビュートアルバムがあります。

 

 『宇多田ヒカルのうた』

 13組の音楽家による13の解釈!

井上陽水椎名林檎岡村靖幸などなどなど

豪華なメンバーが宇多田ヒカルの曲をカバーする。

 

そういうコンセプトのアルバムです。

 

でもそこに、いくら宇多田ヒカルが平成の歌姫と言われていようがいまいが

宇多田ヒカル本人が入ってはいないのですよ。

 

宇多田ヒカルのための他のアーティストによるカバーアルバムなのだから。

 

アルバムがどういうコンセプトによって作られているか

それを考えることが

 

百人一首という一つの作品を捉えるヒントになるんじゃないか。

そんな風に考えたんですが。

 

うーん。

ちょっと例えが変でしたかね?

 

 100人の歌う人たち集めたら
 世界がもっとイロトリドリに
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百人一首って

 

小倉山荘に色紙に書いて飾るために

定家が選んだ百人の歌人の百首の歌を集めた一つの作品。

 

一つ一つの歌の意味を捉えて

掘り下げることも重要かもしれないけれど

 

一つの作品として全体を見ると

また違った面白さがあります。

 

全体を通して見えてくるものは

 

この時代の日本の歌人

何を美しいと思っていたか

何に心を動かされていたか

どんな恋をしていたか

何を大切にしていたか

 

そんな姿が垣間見えるというもの。

 

1番の天智天皇から100番の順徳院までの

時代の流れが感じられるというもの。 

 

それでも1000年近く経った今でも

 

秋の紅葉を美しいと思い

逢えない人を想い

長らえる人生を憂う

 

そんな歌の背景を感じることができたら

 

今よりもっと百人一首が親しみの持てるものに

なってくるんじゃないかと思います。

 

百人一首って

 

まだまだ奥が深いですよね。 

 

この百人一首

かるたとして楽しまれるようになってきたこととか

もちろん競技かるたのことも

 

もっといろいろ掘り下げていきたいと思います。

 

そうそう、

今年中にやっておきたいと宣言した

百人一首を百首覚える!!

ということも

 

あと少しで達成しそうです。

お正月にはきっとかるたを楽しめるでしょう。

 

 

今回も最後まで読んでいただいて

ありがとうございました。

 

お題「好きな短歌」