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三日月のうた

三十一文字とそれにおさまりきらないこと。「ことば」について考える日々。記事のタイトル≒短歌のお題 です。

一歩って。

ことば 短歌 読書

 

 その一歩
 たとえ亀でも兎でも
 いつか頂上 辿り着ければ

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今回は

11.1.に ちなんで?

 

一歩って。

てことを少し。

 

 

何をしていいか

どこを目指したらいいか

 

何者になるべきか

どんなふうに進むべきか

 

そんなこと

よく分からなくても

 

とにかく一歩

踏み出してみるって

大切かな、と思っています。

 

 

一歩

 

とにかく

一歩でいいから

 

小さくても

踏み出してみる。

 

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一歩で思い出すことと言えば

 

私は一度だけ

たしか20歳ぐらいのときに

 

家族で富士山に登ったことがあって

その時のこと。

 

家族といっても

両親と弟、そして私の4人ですが(私には上に2人兄がいます)

 

計算するとそのときの父と母は

50歳を過ぎていて

 

山好きの父は別として

母は初めての富士登山が50歳を過ぎていた

ということになります。

 

50歳を過ぎて

自分の子どもたちと

富士登山をすることができるだろうか?

 

そう考えたとき

私自身

 

Yes

 

と答えたい、そう思っています。

 

結局そのときは

弟は高山病になり父と途中で下山

 

頂上へは

母と私の2人で向かうことになったのですが

 

とにかく

一歩

進むこと

 

一歩一歩

進んでいけば

いつか頂上に辿り着くと

 

そう信じて

進み続けていたら

 

あ、着いた。

 

そんな感じでした。

 

もちろんそのときの

健康状態や体力や天候や

様々な好条件が重なって

 

無事に登頂できた

そうは思うけれど

 

その時から私は

どこかへ辿り着きたければ

 

とにかく一歩

一歩を踏み出すんだ

 

という思いが強く

 

そのことがずっと

私を支えてきてくれていた

 

そんな気がします。

 

今のところ

富士山に登ったのは

私はそれきりなのだけれど

 

あれから母は

毎年のように

一人でも富士山に登っていた時期もあったし

 

脚を傷めて歩くのがやっとになってからも

少しずつトレーニング?と呼べるかどうかも分からないような

地道な努力を続けて

 

今も

亀の歩みのような一歩一歩を

進めていて

 

来年は登れたらいいなぁと

 

70歳を過ぎた今でも言っているのです。

 

亀のようでも

歩幅が小さくても

 

それでも

 

その一歩を踏み出すこと

一歩一歩進めること

 

進み続けることが

本当は一番大切で

 

いつか

 

そう思って

信じている今を

大切にしたいと思っています。

 

一歩って

 

必ずどこかへ

つながってると

 

そう思います。